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アレッサンドロ・ベーについて

 1976年トリノ生まれ。自然科学を専門とし、トリノ大学を卒業。修士課程では自然科学を教育する訓練を受け、現在は高校で理科教師として教壇に立つ。
 1996年から写真家・ルポライターとしての活動を続けており、アフリカ、アジア、中央アメリカ各地を取材してまわると同時に、ローマ、ジェノバ、レッチェをはじめとするイタリア各地で展覧会を開催し、その成果を発表している。また、複数の専門雑誌に記事や写真を掲載している他、彼の写真はポストカードやカレンダーとしても流通している。2003年には『アフリカ 砂漠とサバンナ』という処女写真集を出版した。ルーマニアの写真専門誌"PHOTO"やニコンのオンライン・ジャーナル"まなざし"(2006年6月号掲載<イタリア語版>)からはインタヴューを受け、個性ある写真家としてそれぞれ紹介されている。
 そもそものはじめから、ベーは自然を対象とする写真家である。そのため動物が被写体となることも多いが、彼はその躍動感あふれる動き自体を捕まえ、映像を抽象的と言ってもいいような次元へと昇華してしまう。彼の写真が絵画に近いと言われるゆえんである。いわゆるネイチャー写真家たちとは違い、彼は独自の美学で自然にアプローチする写真家なのである。
 最近では、イギリス国営放送局BBCがロンドン自然歴史博物館と共同で選出するBBCワイルドライフ・フォトグラファー・オブ・ザ・イヤー(BBC Wildlife Photographer of the Year)に選出されている。
 【 受賞歴 】
  2005年 "Winner" in the category "The World in Our Hands"
  2005年 "Runner-up" in the category "Composition and Form"
  2006年 "Highly-commended" in the category "The World in Our Hands"
アレッサンドロ・ベーの公式ホームページもどうぞご覧ください。
英語のキャプションとともに、たくさんの作品が掲載されています。

大阪ドーナッツクラブとの関わり

 どうも、ポンデ雅夫です。アレッサンドロ・ベー君の紹介をしないといけないわけなんですけど、これが意外と難しいんですよね、どこから始めていいやら。日本人イタリア人を問わず、人と話していると、「大阪ドーナッツクラブのサイト見てますよ」なんて言われることがあるわけです。「それはどうもありがとうございます」といった具合に平身低頭に答えながらも、掴んだ客は放すわけにはいくまいと隙を見てさりげなくお宝アーティストたちの話をふってみるんです。ちょっとした営業活動ですね。なんたって僕らは草の根的な組織ですから。すると、その場の話題をかっさらうアーティストとなかなか話題に上らないアーティストにどうしても分かれてしまうことになるんですね。要するにもともとの知名度の問題です。僕らは有名か無名かではなく活動そのものの質の高さを判断材料にしているので、イタリア人にしたって「誰なの、この人?」となってしまうこともあるわけなんです。もちろん日本人にしてみればなおさら。それはいたしかたのないことです。まずは僕らにとって「面白い」人材であることが大事ですからね。僕らの興味を猛々しく一本釣りしてくれるアーティストであること。ノーベル賞を取っていようが、自費出版で地道に活動していようが、そんなことは僕らにとってはあまり関係のないことなわけです。さて、話題はアレッサンドロ・ベーでしたね。ここまでの話でみなさんも薄々感づいてらっしゃるとは思いますが、彼は「話題に上らない」アーティストの筆頭です。イタリアでもあまり知られていないんですね。駆け出しです。そして、日本で彼について取り上げるのはODCが初めてです。
 さて、僕らがどのようしてこのフォトグラファーと知り合うことになったのか。これはシンプルな話です。幼い頃から僕の友達なんです。僕はイタリア人の母親と日本人の父親を持つ世間で言うところのハーフで(最近はダブルとも言うそうですね。半分でも二倍でもどちらでもいいんですけどね、ポンデ雅夫は一人ですから)、トリノに生まれました。そしてアレッサンドロもトリノ生まれなんです。細かいことは抜きにしますが、ともかく僕とアレッサンドロは物心もついていないような段階で友達になりました。ところが僕が琵琶湖畔に暮らすようになって、会うこともできないまま、短い手紙をやり取りするだけのつきあいになっていました。それから長い年月が流れ、僕が大学でイタリア語を学ぶようになり、二十歳ごろになってついに再会を果たしたわけです。彼は旅行好きの両親の影響と持ち前の溢れる好奇心に背中を押され、世界中を旅していました。歳は僕より二つ上なだけなのに、彼は既に世界の広さを知っていたわけです。僕が名前すら知らなかったような場所にさえ、彼は足を踏み入れていました。十数年ぶりに巡り会った僕を相手に、彼は時間も忘れて各地の見聞を披露してくれました。そこで登場したのが、彼が愛用のカメラでシャッターを切った世界各地の写真の数々。まぁ、当然のことですね。人は自分の旅行について語るときに写真の助けを借りるものです。でも、誰にでも経験のあることだと思うんですけど、あれって見せられる側からすれば退屈することもしばしばですよね。それが、彼の写真は違ったんです。ほんの数枚見ただけで、僕ははっとしたんです。その大胆な構図、光の取り込み方、被写体の動きに対する鋭敏な感覚。僕は映画を撮ったり研究したりはしていますが、決して写真の専門家ではありませんし、きちんと批評できるような語彙を持っているわけでもありません。けれど、写真を何枚か見れば、それらが素人の手によるものか玄人の作品であるかぐらいはわかるつもりです。僕がそのとき目の前にしていた写真は、まぎれもなくどれもが研ぎ澄まされた審美眼と高度な技術を持った写真家の映像でした。「君はきっといつか腕のいいフォトグラファーになるよ」。彼は慎ましくも嬉しそうに微笑んでいました。
 2007年夏までの期間限定で僕が住んでいるローマとトリノの間には500キロメートル以上の距離が横たわっているので、なかなか思うように会うことができずにいたんですが、メールのやり取りはちょこちょこしていたんです。その中で、彼がいつの間にやらいっぱしの写真家になっていることを知り、イタリア各地はもちろんのことヨーロッパをまたにかけて展覧会を成功させていることに驚きました。僕はすぐにODCの存在を彼に伝え、イタリアの良質アーティスト・ハンターを自認する僕らに紹介させてくれるように頼みました。「もちろん構わないよ。楽しいことだよね、僕の写真が遠い日本の人に観てもらえるなんて」。
 去年の暮れ(2006年12月)に僕とアレッサンドロはローマで久しぶりに顔を合わせました。個展が開催されるというので、そのオープニングイベントに出かけたんです(右がそのフライヤー)。場所はローマが誇る自然豊かなアッピア街道沿い。由緒ある建物を改築した会場のこけら落としでした。大入りの観客と数々の来賓、所狭しと掲げられた自分の写真を前にしてスピーチをする彼の姿はなかなかりりしいもので、イベントがはねた後に僕は彼にこう言いました。「僕の予想が当たったわけだ」。アレッサンドロはいつかと同じように微笑みました。どこまでも控えめな彼ですが、その表情には自信のようなものが垣間見えました。写真家は熱っぽい目で捉えていたのです、広い世界と広がる未来を。

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