ハムエッグ大輔(以後、ハムエッグ) |
それではこれから10の質問をしたいと思います。10の質問は「見えないものたちの踊り」の翻訳者、ドーナッツクラブのメンバーから寄せられたもので、つまりあなたの本を読んだ日本人の意見だとお考えください。それでは第1の質問、役者、脚本家でもある有北クルーラーさんからです。 |
有北クルーラー |
僕は職業柄、知人や友人たちを観察して物語や文章をつくります。でも、中には語るには不十分なスケッチのようなものもある。そこでアゴスティさん、あなたはどのように92編の登場人物を選びましたか? また選ばれなかった人もいるのですか? |
アゴスティ |
92の短い小説は2500の出会い、220の会話から生まれたんだ。でも、今はそれを恥ずかしく思っている。今までは私が考える「生命」に近い人物や、またそれを乱暴に拒否する人物を選んできた。でも今考えると、ある特別な視線で特別な人物をとらえることなど不可能で、あらゆる人が物語の登場人物になれるんだ。例えば、最近日記に書いた話、それは『見えないものたちの踊り第二巻』の一部になる予定なんだけど、その話は、カートをどこにでも持ち歩く女が主人公なんだ。タイトルは『カートを押す女』。一番すばらしい作品だよ。 (※『見えないものたちの踊り』に収録されている話のほとんどは、このようにして彼のウェブサイトの日記として公開されていたものである) |
ハムエッグ | どうして92という数字だったのでしょうか? |
アゴスティ |
92っていうのは、前は私が92歳まで生きると決めていたから。でも今は99歳まで生きることにした。だから『見えないものたちの踊り第二巻』では99の物語を書くつもりさ。 |
ハムエッグ |
7つ足さなければならないんですね… では第2の質問。主婦をされているまどフィンさんからです。 |
まどフィン |
92のお話の中の登場人物は不幸だったり、残酷だったりしますが、お話を読みながら、私は彼らを愛しくも感じました。人は自分の人生に物語を見出すとき、唯一無二の価値を感じるものだと思います。日本では「自分探し」をする若者がいますが、お金や名誉がその物語に入っていないと納得できない。まわりの世界にどのような眼差しを向ければあなたのようにさまざまな物語を発見することができますか? |
アゴスティ |
今答えた通り特別な眼差しなど必要ないんだけど… でも一つ付け足すなら、作家が語るあらゆる物語とは、実際には物語そのものが語っていると言っておきたい。世界を見る眼差しというのは、物語自身のもの以外の何ものでもないからだ。だれ一人として物語を書くことはできない。その意味で特別な人などいない。ただ見えないものを見る力がないだけなんだ。この「見えないもの」というのは、いろんなところで私は言っているけれど、映画の特徴でもある。本当の映画というものは、見えないものを見せるんだ。本当の映画が映像を映し出すと、その映像がきみの手を引いて、きみの中にある見えないものを見せに連れて行ってくれる。 |
ハムエッグ |
あなたは本にも同じ手法を用いられましたか? |
アゴスティ |
本にもこの映画的視点は用いたよ。映画を先につくっていなければ、これらの「短い小説」はできあがらなかった。 |
ハムエッグ |
面白いですね。まさに翻訳者の一人ツイスティーけいこさんが言っているんです。それが第3の質問になります。 |
ツイスティーけいこ |
地の文章が現在形なので、あなたの本を読んでいるとまるで映画を見ているような感覚になりました。なので、翻訳するときもできるだけその感覚が表現できるよう努力したのですが、それは意図的なものですか? |
アゴスティ |
私は人生において、過去も未来も信じない。いつでも現在だから… 現在とは私たちが持ちえる唯一の生。朝の目覚めから、夜眠りについて死ぬまで。つまり私たちは1年に365回、生と死の意味を理解する機会がある。10年で3650回。50年で、えーっと… 15万回だよ。 |
ハムエッグ |
では続いて、『見えないものたちの踊り』の内容に関する質問に移りたいと思います。第4の質問はポンデ雅夫さんからのもの。 |
ポンデ雅夫 |
2『あの丘の上から』は本全体の軸になるような作品。丘の上から家々を見下ろし、人々の暮らしを当てるという子供のころの遊びを、もう一度やってみる。子供のころの「ぼく」と今の「ぼく」はあなたにとって違うものですか? |
アゴスティ |
いや、まったく違わないよ。むしろ幼少時代の美しさは、私の中には奇跡的に残っている。学校に行っていないから、それを奪われることがなかったんだ。幼少時代とは、自分自身とまったく同じであることを意味する。自然がもたらす特徴は、少しの変化はあるけれど、いつでも同じであること。毎年春が来ると木に花が咲く。50億年後にでも花は咲く。50億年後も50億年前と同じ実をつける。幼少時代も同じさ。幼少時代の実は、創造力だ。だから学校に行かなかった人は、必ずとても高い創造力をもっている。 |
ハムエッグ |
では続いて、それに関連する第5の質問を。翻訳者の一人で、料理学校に勤めているセサミあゆみさんからのものです。 |
セサミあゆみ |
お話の中の天真爛漫な子供たちがとても魅力的でした。78『トネリコの花咲く森で』の中であなたがピカソの言葉を引用していることに注目しました。「私は子供のように描く方法を会得するのに一生を費やした」(Ho impiegato tutta la vita per imparare a disegnare come i bambini.)子供はあなたにとって重要な存在なのでしょうか? |
アゴスティ |
子供たちが重要な存在か? 重要に決まっているじゃないか。子供は地上で唯一の人間さ。大人たちはみんなボロボロになっている。サラリーマン、夫、医者、大統領、国会議員、芸術家、バレリーナなんかにすり替わっている… でも子供は子供のままだ。つまり自分自身。幼少時代を過ぎると、人間は自分自身じゃなくなる。私は自分自身だけどね。 |
ハムエッグ | あなた自身はまだ子供であると? |
アゴスティ |
子供ではないよ。でも「幼少時代」を奪われることはなかった。きみたちはみんな、歯を全部とられて、義歯をつけられている。知らない人からすれば、それが義歯とはわからなくても、きみたちには確実についているんだ。 |
ハムエッグ |
では第6の質問。私、ハムエッグ大輔からのもの。 |
ハムエッグ大輔 | |
アゴスティ |
でも私は… 啓蒙主義にもシンパシーを抱いている。ルネッサンス、福音主義、ブッダ、老子、黒澤明にもシンパシーを抱いている。つまり私は人間にとって革命だと思うものにはなんでもシンパシーを抱くんだ。もちろん資本主義にはシンパシーを抱いていないよ。偽物の共産主義同様、怪物のようなメカニズムだということが明かされている。でも最近では幸い力を弱めているね。 |
ハムエッグ |
「偽物の共産主義」というのはルーマニアやソ連、北朝鮮といった国のことでしょうか? |
アゴスティ |
そう。私は2年間ソ連で過ごしたんだ。外面には社会主義の絵が描かれていたけど、中は、入ればすぐわかるけど、独裁主義の脅威がふるっていた。 |
ハムエッグ |
そのときあなたは偽物の共産主義を感じたんですね。ならば、本物の共産主義はまだ生まれていないのでしょうか? |
アゴスティ |
まったく生まれていない! 生まれることはできない。本物の共産主義とは、すべてを共有するということ。すべてなんて… ああそうだ! 私が知っている中で初めての共産主義的なものはインターネットさ。インターネットは現実的な共産主義の第一歩だ。大富豪ロックフェラー家の門衛の息子で会ってもアメリカの国家機関を停止することができる。やりたいことは何でもできる。そこでは大富豪の息子がいちばん偉いってわけじゃないだろ? 門衛の息子と同等なんだよ。 |
ハムエッグ |
それでは第7の質問。映画会社で働いているオールドファッション幹太さんからのもの。 |
オールドファッション幹太 |
唯一女性関係について語った89『本当の愛』。その冒頭で、あなたはマンションの階段かどこかで小さな女の子から「いちばんヘンなお話をして」とせがまれます。『本当の愛』というタイトルにして、なぜいちばん変な話として思い浮かんだのですか? |
アゴスティ |
これはアルメニアで実際私に起こった話… なぜ変かって?なんでそんなこと言うんだい! みつかったら二人とも首を飛ばされるところだったんだよ? |
ハムエッグ |
でもそれは変というよりは、危ない話ですよね… |
アゴスティ |
いや、違う。何よりもまず変なのさ。私は何もしていない。ふつうは男の子が女の子を誘うものなのに、あのときは女の子が私を誘ってきた。それから、彼女がすごかったのは、あの寺院を選んだからだ。あの寺院は、ある姉弟がつくったものだ。彼ら二人は愛し合っていた。そこで、寺院をつくるという口実のもとに、寺院の建つべき場所でいっしょにいて、セックスばかりいていた。みんな「寺院を建てるなんて、なんて偉い子たちだい」って言っていたけど、実際はセックスがしたかっただけなんだ。わかる? |
ハムエッグ |
それで女の子には、この話をしたんですか? |
アゴスティ |
ああ、私にせがんできた女の子? もちろん、話をしたよ。 |
ハムエッグ | どんな反応でしたか? |
アゴスティ |
うーん、反応は… 何かとんでもないものを知ったって感じかな。でも、おびえて、タブーに触れたという感じでもあった。その小さな女の子は、自分自身でいる勇気がなかったんだ。理由は簡単。学校に通っていたら、残念ながらだれも自分自身ではいられない。いいかな、今からとても大事なことを言うよ。大人というのは子供の死んだ姿なんだ。大人になる代わりに、自分自身になるべきで、それが子供の生きている姿なんだ。人間になるってことさ。人間は成長した子供であって、人間は、何度も繰り返して言っているけど、自然が生んだ最高の作品さ。つまり自分自身以上に最高のものはこの世界に存在しない。自分自身であれば、だけどね。 |
ハムエッグ |
じゃあ例えばイタリアには、あなたの言う「人間」はいますか? |
アゴスティ |
うーん、ほとんどいないね。イタリア人じゃないけれど、例えばガンジーとか、ソクラテスとか、マーティン・ルーサー・キングとか。ドストエフスキーとか。でも、世界の歴史を振り返ってみても、本当に少ないよ。そして、みんな死んでしまった。権力によって殺されてしまった。権力とは、人類が抱えている病であり、それは治さなければならない。今治ってきているのは、インターネットがあるからだよ。インターネットは「力」であって、「権力」ではない。「おい、あのサイトには行くな!」と権力が命令しても誰もきかない。 |
ハムエッグ |
では今度は「働く」ということをテーマにした質問をしてみたいと思います。日本人にとってはあなたの「仕事」についての考え方は興味深くって… イタリア語教師をなさっている翻訳者の一人、シナモン陽子さんから第8の質問。 |
シナモン陽子 |
私は8『「義務」に踊り、踊らされ』を訳しました。現在の日本の社会システムは、まさに「義務の踊り」(danza degli obblighi)に支配されています。経済が最優先される価値観に私たちはしばられ、人間らしい生活はできません。 |
アゴスティ |
(質問が終わる前にさえぎって)
いや、違う! だって、本当に経済が最も重要なら、日本は生産性を上げなければいけないはずだろう。ところが、そうはなっていない。生産性を上げるには、みんなが少しずつ働くことが好ましい。3時間の労働は、権力の下で働く召使いが9時間働くよりも、ずっと生産的だ。召使いは、のろのろ仕事をして、間違えたり、ものを壊したりする。本当の人間が3時間働くなら完璧さ。 |
ハムエッグ |
それでは、現在の日本は「召使いのシステム」と言いましょうか。質問を続けます。 |
シナモン陽子 |
みんな息苦しさを感じているのに「息苦しいのはみんな同じだから」と、全員で耐え、自分たちに不利なこの社会システムを維持しています。だからこそアゴスティさんの作品は読まれるべきだと思うのですが、この社会システムにどう闘っていかなければならないでしょうか? |
アゴスティ |
「闘う」というのは間違っている。システムの一部になるんだ。闘ってはいけない。闘うとシステムの役割が果たせないだろう? 仕事を一時間少なくすることは、一時間分の仕事よりも価値があるということを理解しなければならない。まずどのように私たちの体がつくられているかを学び、知り、理解する意識が必要だ。自分の体の7グラムの中に、70億の小さな自分とまったくいっしょの自分がいることを誰も知らない。脾臓は何のためにあるのか? 血を浄化する血小板をつくる。それを誰も知らない。誰も人体がどれだけ素晴らしいかわかっていない。 |
ハムエッグ |
あなたの言う「仕事」の概念は、日本人のそれとはだいぶ異なっていますね。翻訳者の一人、あかりきなこさんから第9の質問です。 |
あかりきなこ |
アゴスティさんの意味する「労働」とは義務感や経済的な必余生に基づき働く場合をさしています。楽しみながら働く人もいるのではないでしょうか? |
アゴスティ |
うん。でも楽しみながら殺人を犯す人もいる。楽しみながら麻薬中毒になる人もいる。楽しみながら死ぬ人もいる。殺したり、中毒になったり、死んだりというのは、肯定できることではない。楽しみながら働く人は、自分のくだらなさを紛らわせる、あるいは紛らわせてもらう必要があるぐらい、人生に絶望しているんだ。気を紛らわせることを楽しんでいるわけであって、仕事そのものを楽しんでいるわけではないんじゃないかな。聖書の一節にもある。人間が禁じられた木の実を食べたことで、「仕事」は刑罰となった。命令を受け続けるという終身刑さ。 |
ハムエッグ |
それでは最後の質問。東京で働かれている稲葉チョコレートさんからのもの。 |
稲葉チョコレート |
「三時間以上働くべきじゃない」と言われていますが、イタリアにも仕事がしたくても、それが見つからない失業者の方たちがたくさんいると思います。彼らはどうすればいいのでしょう? |
アゴスティ |
失業者は、仕事をしたいわけではなくって、食べたい、眠りたい、遊びたい、友達をつくりたいだけなんだ。仕事をしたい人なんて一人もいないよ。それがまず一つ目。仕事をするように強要され、今度はそれすらも奪いとられる。今度仕事を見つけたときに、大事なものを見つけたのだと信じ込ませるために。わかるかい? 実際には、労働者が仕事を欲するんじゃない。雇い主が労働者を欲するんだ。でも、現在はそういった状況でもなくなってきた。なぜなら機械による自動化が、すべての労働者にとって代わったから。すると私の映画“N.P. Il segreto”(1971年、日本未公開)のように労働者はみんな殺されるか、家と食べ物を与えられ、無料で飼い殺しされるかになった。 |
ハムエッグ |
これでインタビューは終わりです。日本の読者に、何かメッセージをお願いします。日本はイタリアと文化的・歴史的に異なっていますが、あなたの本にはそういう要素がたくさん含まれています。だから一般的な日本人にはわかりにくいストーリーもあるかと思います。 |
アゴスティ |
一般的なイタリア人だって何もわかっちゃいないよ。いつでも同じ議員に投票し続けて、そいつが権力という名の犯罪者であることをわかっちゃいない。そして、日本人がいるとも、イタリア人がいるとも思わない。人間だけが存在するんだ。私のように、目が2つ、鼻が1つ、口が1つ、足が2本、腕が2本、心臓が1つあるなら、私たちはみんな同じだと思う。経験によっての違いはあるとしても、本質的には私たちはみんな同じなんだ。でも、もし日本人は1日14時間働くことで、目が4つ、鼻が2つ、口が2つ、腕が6本、足が10本になったと言われたら「ムムムム、これが日本人ってやつか!」って私は言うだろうね(笑)。だから日本の読者に、日本人などいないこと、みんなの中には同じ人間がいることを気づいてほしいと思う。唯一無二の人間という存在を尊ぶ必要がある。日本ではそれができるだろう。西洋諸国のような宗教感を持っていないんだから。 |
撮影:写真家 エルネスト・テデスキ(Ernest Tedeschi)
公式ブログにも寄稿(イタリアからの手紙9:「ナポリを見て死ね」)いただいています。